124.2 道家





作成日:2017.04.03|更新日:

道家/老荘思想とは

 老荘思想(ろうそうしそう)は、中国で生まれた思想。道家の大家である老子と荘子を合わせてこう呼ぶ。道家の中心思想としてとりわけ魏晋南北朝時代に取りあげられた。老荘思想が最上の物とするのは「道」である。道は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として使われる場合もある。「道」には様々な解釈があり、道家の名は「道」に基づく。
 老荘思想が最上の物とするのは「道」である。道は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として使われる場合もある。「道」には様々な解釈があり、道家の名は「道」に基づく。『老子』『荘子』『周易』は三玄と呼ばれ、これをもとにした学問は玄学と呼ばれた。玄学は魏の王弼・何晏、西晋の郭象らが創始した。
 老荘思想は老子から始まるが、老子はその生涯があまり良く解っておらず、実在しなかったという説もある。老荘の名以前に黄老(こうろう)があり、戦国時代から漢初に流行した。
 老子と荘子がまとめてあつかわれるようになったのは、前漢の紀元前139年に成書された百科的思想書の『淮南子』(えなんじ)に初めて見え、魏晋南北朝時代のころの玄学において『易経』『老子』『荘子』があわせて学ばれるようになってからであろう。 老荘思想は道家思想とほぼ同義に用いられるが、これは前漢のころには信頼できる道家の書物が、老子と荘子くらいしか残っていなかったためである。
 儒教が国教となってからも老荘思想は中国の人々の精神の影に潜み、儒教のモラルに疲れた時、人々は老荘を思い出した。特に魏晋南北朝時代においては政争が激しくなり、高級官僚が身を保つのは非常に困難であった。このため、積極的に政治に関わることを基本とする儒教よりも、世俗から身を引くことで保身を図る老荘思想が広く高級官僚(貴族)層に受け入れられた。加えて仏教の影響もあり、老荘思想に基づいて哲学的問答を交わす清談が南朝の貴族の間で流行した。清談は魏の正始の音に始まり、西晋から東晋の竹林の七賢(?康、阮籍、山濤、向秀、劉伶、阮咸、王戎)が有名である。ただし、竹林の七賢が集団として活動した記録はない。
 老荘思想は仏教とくに禅宗に接近し、また儒教(朱子学)にも影響を与えた。






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