医食同源 それは食文化のクロスロード

 医食同源は、日頃からバランスの取れた美味しい食事をとることで病気を予防し治療しようとする考え方で、「医食同源」という言葉自体は中国の薬食同源思想から着想を得て、近年、日本で造語され、中国へ逆輸入されています。初出は1972年、NHKの料理番組『きょうの料理』の特集「40歳からの食事」において、臨床医の新居裕久氏が発表したもので、中国に古くからある薬食同源思想を紹介するとき、薬では化学薬品と誤解されるので、薬を医に変え医食同源を造語したといわれています。この「医食同源」という言葉は1990年前後には既に一般で使われて、その思想も健康ブームなどにより、広く受け入れられてきたました。一方、健康食品ブームなど、薬のごとく評価する事に対し、日常の食事で病気を予防したいとすれば、バランスがとれたおいしい食事であれば良い、成分ばかり気にする風潮に批判も強くなっています。
また、健康食品ブームと同様に、不足しがちなビタミンやミネラル、アミノ酸などの栄養補給や、ハーブなどの成分 による薬効の発揮が目的である食品、ほかにも生薬、酵素、ダイエット食品など様々な種類の、アメリカ合衆国の食品区分の一つの、栄養補助食品、健康補助食品とも呼ばれるダイエタリー・サプリメント (dietary supplement)の普及があります 。また、生物の代謝を科学的に解明し、加齢に伴う動脈硬化や、がんのような加齢疾患の発症率を下げ、健康長寿をめざす加齢医学(アンチエイジング医学)の普及も健康食品ブームにシンクロナイズしています。


ヨーグルトと蜂蜜と林檎の素晴らしい出逢い

 例えば、ヨーグルトは紀元前五、六千年頃。東地中海で家畜として飼われていた牛や羊の乳を食料に用い始めたとき、偶然に乳酸菌が自然発酵し、ヨーグルトが誕生したとされています。その後、シルクロードを経由し中央アジアや内陸の遊牧民族にも伝えられ、それぞれの地域や気候風土に合った乳製品が作り出されました。世界中に広がったのは、20世紀初頭にロシアの生理学者であるメチニコフが唱えた「ヨーグルト不老長寿説」からで、長寿で有名だったブルガリア人がヨーグルトを常食していることから、ヨーグルトこそ長寿の秘訣ではないかと考えられました。日本国内で最初に乳加工の技術が導入されたのは、6世紀半ば。中国から、牛乳の飲用や加工技術が伝えられ、8世紀になり平城京が都となって、「酪」「酥」「醍醐」が宮廷に献上されるようになりました。中でも「酪」は牛乳を攪拌しながら煮詰め、古い酪を少し加え発酵させたものです。平安朝の没落とともに「酪」も衰退しますが、五百年あまり経て、徳川吉宗が「白牛酪」を作らせ「酪」が復活。明治時代に徐々に庶民の口にも入るようになりました。乳酸菌は腸内で棲息するが、ヨーグルトの乳酸菌は腸内定着できず、その代謝などが腸内のウェルシュ菌などを減少させ、在来乳酸菌を増殖させるという整腸作用とアレルギーの発症を抑える効果があり、特定保健用食品(トクホ)の食品の機能表示の認可された食品は、ヨーグルトとして乳酸菌を含んでおり、食品の摂取によって便秘や下痢の改善、減り腸内環境が改善されます。

  蜂蜜はギリシャ神話に人間に養蜂を教えたのはアリスタイオスとあります。蜂蜜と人類の関わりは古く、スペインのアラニア洞窟で発見された約1万年前の壁画に蜂の巣から蜜を取る女性の姿が描かれ、メソポタミア文明の象形文字にも蜂蜜の記載がみられ、古代エジプトの壁画に養蜂の様子が描かれ蜂蜜は世界最古の甘味料といわれています。旧約聖書ではイスラエル人の約束の地、カナンが「乳と蜜の流れる場所」と描写され、蜂蜜豊饒さのシンボルとして扱われ、中世ヨーロッパでは照明用のロウソクの原料として蜜蝋がつかわれました。19世紀まで蜂蜜は、蜂の巣を壊してコロニーを壊滅させ巣板を取り出すしていましたが、1853年、アメリカのラングストロスは、可動式の養蜂箱や蜜を絞るための遠心分離器を発明し、蜂蜜や蜜蝋の採取時にコロニーを崩壊させず採取することに成功。日本の養蜂は、『大日本農史』によれば642年とされ、平安時代には、宮中への献上品の中に蜂蜜の記録があり、江戸時代には巣箱を用いた養蜂がはじまりました。古典的な養蜂はニホンミツバチを使っいましたが、現在も山間部ではニホンミツバチの養蜂が行われているが、明治時代に入り西洋種のミツバチが輸入、近代的な養蜂器具を使った養蜂が盛んになり、ラ式巣枠と呼ばれる巣枠が1851年が開発され、その直後の1857年には、ドイツ人メーリング(J.Mehring)が人工巣礎を考案しました。

  「一日一個の林檎は医者を遠ざける」。トルコで紀元前六千年 頃の炭化した林檎が発見され、スイスでは遺跡から紀元前二千年頃の林檎の化石が見つかりました。旧約聖書に登場するアダムとイヴが、蛇にそそのかされて食べた善悪を知る果実が林檎であるというのは、後の時代に創作された俗説で、当時旧約聖書の舞台となったメソ ポタミア地方には林檎は分布せず、また林檎は食用に適さなかったようです。ギリシャ神話には、「最も美しい女神に与えられる」と言われた黄金の林檎を巡り三女神が争い、遂にトロイア戦争に至るエピソードがあり、ヘラクレスの12の冒険の中にも黄金のリンゴを取ってくる話があります16〜17世紀頃になると欧州で林檎栽培が盛になり、17世紀前半に欧州から米国に持ち込まれ、世界中の寒冷地で林檎栽培され、。日本には中国から最初に持ち込まれ、「和林檎」と呼ばれていたが、1871年北海道開拓使次官の黒田清隆が米国75品種の苗木を持ち帰えり一般的になりました。いまでは、国産の林檎のフジが逆輸>出され世界生産量の20%世界一となっています。また、2003年より「彦根りんごを復活する会」が、全国に残存する和林檎や野生種を調査し数十種類)を育て収穫した実はお盆に各地の寺社に奉納しています。生食のほか、林檎リンゴやアップルパイ、ジャム、焼きリンゴ、リンゴ酒(シードル、カルヴァドスなど)などに加工。林檎は空気に触れるとポリフェノールが空気中の酸素と結合し変色するが、塩水に晒すと塩素イオンが、ポリフェノールを酸化する際に働く酵素を阻害し変色を防ぎますが、レモン汁に晒すとビタミンCでも可能でこちらの方がより理想的です。


医食同源 新しい徐福伝説のはじまり

   今から2200年前、秦の時代の中国に長い間中国でも伝説上の人物の徐福が、1982年江蘇省の徐阜村(徐福村)が存在することがわかり、実在した人物だっことが明らかにされました。彼の子孫が大切に保存されていた系図に徐福が不老不死の薬を求めて東方に行って帰ってこなかった書かれていました。それほどまでにして、秦の始皇帝は不老不死の薬を求めていたことを窺い知ることもできます。そのように、世界一の長寿立国となった日本も、大変な健康ブームで、秦の始皇帝でなくとも元気で幸せに長生きできることを多くの国民は願っている証でしょう。さて、ヨーグルト、蜂蜜、そして、林檎。これらの三の食のクロスロードのパワーは、栄養バランスから理想的な組み合わといえるのではないでしょうか。主食となるお米や小麦の文化はこれらよりも、さらに歴史を遡ることになりますが、1つ1つの食品にも長い間をかけわたしたちの営みとこの大地に育まれてきたことを考えると、決してブームに流されることなく、さらに磨きをかけ食育と医療の発展のために微力を尽くして行きたいと願って絶まないものです。


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