水都物語 それは命の源の水を知ることからはじまりました

 魚の外見的な特徴からアプローチする答えもあるでしょうが、大局からのアプローチもあるでしょうが大切なことは、水生活しているということです。水とは?なんでしょうか。化学お的には化学式 H2O で表される、水素と酸素の化合物との答えが正しいのでしょうが、日本語では、常温のものは「水」と呼ぶが、温度が高くなると湯と言いますが、固体のそれは氷、気体は水蒸気、ということになる。地球表面、特に海洋に豊富に存在する。生物の生存、日常生活をはじめ、工業や医療などに不可欠であり、人類にとって最も身近な物質です。しかし、宇宙全体から見ると水として存在している量は少なく、生物体を構成する物質で、最も多くを占めるのが水といわれています。人体も60%から70%程度が水で、現代の人類の水の使用量の約7割が農業用水といわれています。
 古代ギリシャではタレスが「万物のアルケー(原初、根源)は水」とし、エンペドクレスは、4元素のひとつとして水を挙げました。 日本では、水神が水(主に淡水)に関する神の総称として使用されています。農耕民族にとって水は最も重要なものの一つであり、水の状況によって収獲が左右されることから、日本においては水神は田の神と結びついていました。田の神と結びついた水神は、田のそばや用水路沿いに祀られ、水源地に祀られる水神(水分神(みくまりのかみ))は山の神とも結びついていました。農耕以外の日常生活で使用する水については、井戸・水汲み場に水神が祀られる。水神の象徴として河童、蛇、龍などがあり、これらは水神の神使とされたり、神そのものとして崇められました。

奇蹟の惑星、奇蹟の生命

 太陽系の惑星および衛星の表面に存在する水のほとんどは氷または水蒸気であり、地球以外で液体の水が存在する場所は極めて少なく、そのような奇蹟の惑星である地球の生命体の細胞には水が多く含まれ、生命現象を司る化学反応場を提供し、体液として、体内の物質輸送や分泌物、粘膜に利用されています。生物は太古の海で誕生したことは、生物の化学組成と海水の組成が似ていることが根拠になっています。ひとの身体は、体重の60%を占める水のうち45%までが、細胞内に封じ込められた水で、残り15%が、血液、リンパ液など細胞の外にある水で構成され、一日に排出される水の量は、静かに横たわっている成人男性で2,300mL(尿1,200mL、糞 200mL、汗と呼気 900mL)で、飲料水から1,200mL、食物800mL、代謝物300mLとして摂取しています。
 ところが、この地球上には多くの水が存在し、生物の生育や熱の循環に重要な役割を持ち、その97%が海水、淡水は残り3%です。淡水湖 河川水 地下水浅は、直接に利用可能な水で、わずか総量の1%未満で飲料水はさらに少なくなります。地球上の水は水循環と呼ばれ、太陽エネルギーを主因として、固相・液相・気相間で相互に状態を変化させながら、蒸発・降水・地表流・土壌への浸透などを経て絶えず循環していますが、この循環の過程で地球表面の熱の移動や気象変動、浸食・運搬・堆積などの地形を形成しています。
  世界中の水の状況は、地域により大きく異なり、気候を決める重要な要素で、特に農業は気候に大きく左右されますが、水の利用は都市生活の維持にとっても重要で、古代から上水道・下水道が建設されました。産業利用とした水利は用水路と呼ばれ(農業用水・工業用水)、現代の水道の蛇口ですが、今なお途上国などでは水道が無い国が多くあります。世界の水の使用量は1995年の段階で年間約35,700億m3で、内訳としては、農業用水が約25,030億m3/年で約7割を占め、工業用水が約7,150億m3/年、生活用水が約3,540億m3/年と推定されています。水使用量は1950年から1995年までで2.6倍になり、2025年には30億人以上が水飢饉に直面してといわれています。日本の家庭の使用状況の一例として東京の家庭では、1日で1人あたり242Lの水を(使用量のうち、28%がトイレ、24%が風呂、23%が炊事、17%が洗濯として)使っています。

美し国、美し淡海 水辺と森林と生活

  滋賀県には湖沼水質保全特別措置法指定で、ラムサール条約登録湿地で日本で最大の面積を誇る琵琶湖があります。滋賀県の面積の6分の1を占め、流れ出る水は瀬田川、宇治川、淀川と名前を変え大阪湾に流入し、湖水を京都市や淀川流域の上水道として利用する琵琶湖疏水が京都へ流れています。最狭部に架かる琵琶湖大橋を挟んで北湖、南湖と呼び、水質や水の流れ、水深などが異なりますが、湖を取り囲む山間部からの流れを源流とした京阪神の命の水瓶として重要です。また、古くから水上交通路としても利用された古代湖であり、魚類や底生動物など50種以上の固有種を含む生物相に富み、明治から昭和の初期までは、琵琶湖の周囲に大小40数個の内湖が広がり、多くの生物を育んでいました。しかし、1943年から始まった琵琶湖の洪水防御の河水統制事業により、事業が終了する1952年までに平均水位が数10cm低下し、これに前後して内湖の大半が拓されたこともあって琵琶湖の自然は大きく変化し、固有の風致や生態系が大きく損なわれましたが、滋賀県は一部の内湖を復元することも計画しており、生態系の回復や水質浄化が各方面から期待されています。
琵琶湖が形成された時期は、約400万年〜600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖(大山田湖)で、湖は次第に北へ移動し、 比良山系により止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったとみられています。尚、琵琶湖は世界の湖の中でも、バイカル湖やタンガニーカ湖に次いで成立が古い古代湖であると目されています。
  縄文時代や弥生時代から交通路としても利用され、丸木舟なども出土し、古代には都から近い淡水の海として近淡海(ちかつあわうみ、古事記では「淡海の湖」(あふみのうみ)と記載)と呼ばれていますが、別名の鳰海(におのうみ)は近江国の歌枕として使われたが、湖の形が琵琶に似ていることが判った江戸時代中期以降、琵琶湖という名称が定着しました。湖西には、大津から若狭国へ向かう西近江路や若狭街道、京都から琵琶湖などを経て今庄から北陸道につながる北国街道などの各種交通路が整備され、湖上交通の荷物の輸送で、大津や堅田などは港湾都市として発達しましたが、陸上交通の発達で次第に斜陽となり、高度経済成長期に琵琶湖から運河を掘削して日本海や太平洋・瀬戸内海を結ぶ運河構想が持ち上がり、琵琶湖から日本海と瀬戸内海を結ぶ阪敦運河構想を福井県知事の北栄造が調整したが、特に四日市市長の平田佐矩が熱心だったこともあり、福井県・滋賀県・岐阜県・愛知県・三重県および名古屋市・敦賀市・四日市市の間で、総工費2500億円〜3500億円をかけ若狭湾〜琵琶湖〜伊勢湾を結ぶ中部横断運河の建設期成同盟が結成、自民党副総裁の大野伴睦が会長に就任したが大野や平田が相次いで死去したことで、1970年に調査が打ち切られました。

 

びわ湖は地球環境の写し鏡

 高度成長にともなって水質汚濁や富栄養化がすすみ、滋賀県は独自に工業排水と家庭用排水を規制する、琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例)を制定。このほかに、「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」や、「滋賀県琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例」、また景観を守るための「ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例」などを制定されています。近年、地球温暖化の影響により冬季の気温上昇、雪解け水の減少などから、 鉛直循環が止まるり湖中下層への酸素供給が止まるため、酸素濃度低下により生物が住めない環境が生じることが問題になっています。また、オオクチバスやブルーギルをはじめとする外来種の侵入や1992年の琵琶湖水位操作規則の改訂、内湖の消失、水田とのネットワークの分断等によって固有の生物相が大きく攪乱を受け、漁獲高が激減し、外来種駆除や生態系に配慮した水位操作、内湖の再生など様々な取り組みが行われています。
 尚、1945年6月に公募により選ばれた「琵琶湖八景」は次のようになります。

 「暁霧」:海津大崎の岩礁(高島市)
 「涼風」:雄松崎の白汀(大津市)
 「煙雨」:比叡の樹林(大津市)
 「夕陽」:瀬田・石山の清流(大津市)
 「新雪」:賤ヶ岳の大観(長浜市)
 「深緑」:竹生島の沈影(長浜市)
 「月明」:彦根の古城(彦根市)
 「春色」:安土・八幡の水郷(近江八幡市・安土町)

 武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋


この様に看てきますと、命の源の水の、「水都物語」の旅は、時流れのとともに変わりゆく滋賀県は琵琶湖の移ろい深く関係していることを知ることでもあり、わたしたちとわたしたちの生活と密接に関係していることへの追体験でもありました。「万物流転」「上善如水」「明鏡止水」「山紫水明」は、この奇蹟の惑星に、奇跡的な生誕を受けたわたしたちの「水都物語」の道標でもありました。


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